金はあるのに結婚に失敗する人とは
古典的な物語のモデルとして、貧しいが心の清い人で、人を疑うことを知らない人と、裕福だが心の貧しい、猜疑心に強い人という対比は良く使われるものですが、果たしてこのモデルケースというのは本当に正しいのだろうかと、人生ある程度生きていると疑問を感じざるを得ません。
まず、貧しい人というのは、猜疑心が強く、人をあまり信用しません。対して裕福な人は、とりあえず人を信頼し、人の話を聞きます。何故なら、裕福な人は人の話を聞く事でお金になる事もあると、本質的に知っているからです。ですから、基本的に高収入の人の方が、貧しい人よりも騙される可能性というのは潜在的に持っている事になります。
ですから、高収入の人というのは、婚活において、案外騙されやすかったりします。ろくでもない女にひっかかったとかいうセリフは高収入の人こそ似合う言葉であって、低収入の人はあまりそういう事は言いません。
昔から、男にとっての結婚の失敗例というと、金目当ての女と結婚した時と相場が決まっています。まあ、金目当てといっても基準が非常に難しいのですが、要するに幸せじゃない結婚生活をおくるはめになってしまったら、それはだまされたと判断してもいいんじゃないでしょうか。では、高収入の人が幸せな結婚を確実にするためには、どのようにすればいいのでしょうか。
幸せのものさしは相対的なものじゃない
まあ、幸せといっても、その基準は人それぞれなわけです。例えば、加藤茶の結婚について、あれこれいう人はたくさんいますが、あのような場合だと、とりあえず加藤茶は幸せそうだからいいんじゃないの、と思うわけです。いや、幸せとは違うけれど、なんだろう、痴人の愛的なマゾヒズムに加藤茶は恍惚感を覚えているような気がするのです。もちろんそれはわたしの妄想で、実際なんて知ったこっちゃないんですが、加藤茶のように結婚について外部からあれこれ言われることはあるかもしれませんが、自分が幸せならそれでいいんじゃないの、と思うわけですね。
幸せの基準を人に求めるな
例えば、ブサイクな中年男性だけど、お金のある人が、絶世の美女と結婚したとすると、周りはやれ金目当てだとかなんだとかはやし立てるでしょう。ただ、その男性からしてみれば、そんな事は承知の上で、その上でその美女と結婚したいわけで、そんな事他人がとやかく言うことじゃないわけです。大体、どんなに釣り合った夫婦でも、別に高収入じゃなくても、旦那が職を失えば大半の夫婦は離婚したりしているわけで、どんな夫婦であろうと、高収入だろうと低収入だろうと、似たり寄ったりであったりします。